「怒り」について考える(ある日の温泉での出来事)

昨夜、2~3年ぶりに近くの温泉施設に行ってみた。毎年一枚ずつ市民に配布されている補助券というものがあって、一人100円で温泉に入れるのだけれど、出不精な私たち夫婦はよく期限切れにしてしまう(笑)

今年はとっておいてあった補助券に気づいて、期限切れになる前に行こうかということになり、ちょっとしたレジャー気分で温泉に入りにいったのだった。

まん防が明けたせいか、日曜夜の温泉施設は人でごったがえしていた。人ごみが苦手な私は、しまったな~と思ったけれど、その後そこで夕ご飯を食べるのはやめにすることだけを心に決めて、とりあえずわざわざ来たので温泉には入ることにした。

しかしこのキャッシュレス時代に逆行して、数年前とは色々仕様が変わっていて、下駄箱もお風呂のロッカーも、皆100円玉がないと使えない。財布を持たずに来ていた夫に両替した100円玉を届けたり、なんだか色んなことがスムーズに進まない。

大好きな露天風呂も、人との距離が近すぎて落ち着かないので、普段はあまり入らない屋内の一番広い湯船の真ん中あたりに浸かって、早々にあがることにした。

この2年、すっかり人のほとんどいない環境に馴染んでしまったせいか、異様な圧をもった他人のエネルギーに圧倒されていた私にその日起きたとどめは、一人のおばさんの怒鳴り声だった。

私が怒鳴られたわけではないのだけれど、その人は孫を連れて脱衣所に入ってくるなり、娘さんかお嫁さんかわからないのだけれど、その人の方へ向かいながら、小さな孫に「〇〇(名前)!ばーちゃん、マスク持ってないんだよ!!」と怒声を響かせたのだ。

『脱衣所ではマスクを着用してください』という案内があったからなのだと思うのだけれど、「いやいや、マスクしてないんだったら尚更、そんな大声で怒鳴りながら歩かないで下さい」と心の中でつい私は呟いてしまった。

その人の怒鳴り声はその後もしばらく続き、周りの人達が振り返っているのも構わずに怒鳴り散らしていた。

実際の声が大きくて、振動が伝わってきたのもあるのだけれど、その出来事はなんだか私にはショックだった。小さな孫にあんな風に怒鳴るというのもびっくりだったし、公衆の面前であれほど目立つやり方で怒りを発散するというのにも驚きだった。

帰りの車の中で夫にそのことを話してみた。すると彼は「その人はきっと、お嫁さんにいつも腹が立っているんだよ。普段から溜まっているものが出たんじゃないの?」と言うではないか。

私自身が昔向き合っていた嫁姑問題に全然関与してくれなかった夫のその台詞にちょっと驚き、彼が随分変わったことにもしみじみした(笑)そして、それは多分その通りで、怒りのコップが満タンになって、いつでもちょっとしたことで溢れだす状態というものを、かつての私も持っていたことを思い出したのだ。

もし、あのおばさんがお嫁さんに怒っていたのだとしても、それは多分お嫁さんダイレクトにではないかもしれない。人は総じて、本当に怒りを持っている対象ではなく、怒りをぶつけても構わない相手に怒りを表したりするからだ。(実際、怒鳴られていた女性の声は小さくて全然聞こえてこなかった!)

私自身も、その昔、姑から怒りの矛先を向けられていた時期が長かったのだけれど、今思い返すと、姑がそれをやめたきっかけは、それまで口答えしたことのなかった私が、初めて姑にはっきりと意見した時だった。

古い慣習の田舎の長男の嫁として自分を定義していた当時の私は、姑に何か言いかえすことなど選択肢の中になかった。しかしある時、姑が私への怒りを孫にぶつけて、まだ年長児だった長女に、嫌味たらしく私の悪口を言ったのだ。

それを聞いて泣きそうな顔になった娘の顔を見た瞬間、私の中で何かがはじけた。そして、はっきりと強い口調で「私の悪口を子供に言うのはやめてください!」と、結婚して初めて姑に口答えしたのだった。

この一件から先、姑の私に対する態度は激変した。多分、元々彼女は私に怒りなどなかったのだ。むしろ、楽しい話し相手として(実は私は、誰とでも話を合わせて楽しませることができる特技がある!笑)、私のことは嫌いではなかったのだと思う。

しかし、姑は夫である舅に長い間抑圧した怒りを持っていた。それを自分の夫にぶつける代わりに、一番大切な長男を奪った(?)嫁の私に、その怒りを転嫁していたのだと推察する。

姑のことだけを言う訳にはいかない。私自身もその後、なぜそれがそこにあるのかわからない自分自身の内なる怒りを、小学生になった長女にぶつけて憂さを晴らしていた時期があるからだ。(子供が小さい時はそれをしなかったのだけれど、口答えするようになった頃からは、すぐに何かのスイッチが押されてしまって、泣くまで長女に怒鳴り散らした記憶がある)

今となっては申し訳ないでしかないのだけれど、なぜ自分があんなに怒ってばかりいたのか不思議なくらいだ。

もちろん、当時怒っていた原因は、今の私には明白だ。玉ねぎの皮が一枚一枚剥がれるように、私は怒っていた相手の更に奥にいた真実の怒りの矛先に気づいてきた。

姑に対して持っていた悲しみ(怒り)は、私のことをわかってくれない夫、庇ってくれない夫にだった。可愛いはずのわが子に反応していた怒りは、姑と夫にぶつけられない怒りだった。

そして色んなことが紐解けてからわかったのは、すべての怒りの一番奥にあったのが、母への悲しみ(怒り)だったということだ。長年大嫌いだと思っていた父への怒りも、実はそうではなくて、あくまでも自己愛しか持っていないコントロールの強い母への怒りだったことがわかったときは愕然とした。

それは長年表面には全く出てこなくて、私から姑や夫への怒りを相談されたとき彼らの悪口を率先して言って慰めてくれていた実母が、実はすべての源だったとは。

最終的にそれを改めて確信したのは、夫や姑の問題がすべてなくなり、もうほとんど自分が怒ったりすることがなくなったと思っていた時、娘の夫くんと、まだ小さな孫に対して、私の中で怒りが再び起きたことによってだった。

しかし「ちょっと待て!何かがおかしい!」と、ありがたいことに深い所から気づきがやってきた。天真爛漫で、自分大好きで、自由気ままに生きている可愛らしい二人に腹が立つ自分は、本当は誰に腹が立っているのか?ということを問いかけた。

そうしてようやく見えてきたのが、長年に渡る実母への私の抑え込んだ気持ちだった。私も彼らのように自由気ままに自分大好きで生きたかったのだ!いつでも母のことを念頭に置いて、無意識下で彼女のコントロールを受け取り、私はずっと生きてきた。しかし私は、母を大好きすぎて嫌いになりたくないばかりに、別のところにその怒りを吐きだして、バランスをとろうとしていたのだった。

育ててもらった親には恩は感じるけれども、もうこれ以上私の人生を犠牲にする必要はないと思った。この気持ちとちゃんと向き合い、そこにある悲しみのふたを開け、怒りを放出しない限りは、私は自分が作った新しい大切な家族を失ってしまうかもしれないとさえ思った。

母を手放すと決めてから、その後の私は、彼らに怒りが全くと言っていいほど湧かなくなった。むしろ愛らしくていつも幸せそうな彼らを誇らしく思うくらいだ。

久しぶりに目にした怒りのエネルギーのお蔭で、自分の過去や、今現在も世界中で進行中のあらゆる「怒り」について思いを馳せることができた。

一説によると、プーチン氏は貧しく愛のない家庭で育ったそうで、対するゼレンスキー氏は愛のある豊かな家庭で育ったらしい。温泉でのおばさんの怒りのエネルギーと戦争を起こす人とを同列にするのは乱暴かもしれないけれど、物事の核心にあるのは、実はそういう個々人の内なる問題なのかもしれない。

「怒り」について色々と考えるに至った、ある日の温泉での出来事だった。ちょっと怖かったけれど(笑)声の大きいおばさん、どうもありがとう!

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