美しさとは何か・・それはこの世にある、ありとあらゆるあなたの心を揺さぶるもののことだ。
それに触れた時に、あなたの目にうっすらと涙が浮かび、心が温まり、生きている喜びを感じる。
そして、あなたが「美しい」と感じるもの・こととは、ベールの向こう側の世界(あの世)の要素がこの世界に現れているものだという。
つまり、すべての美しさの根源はあの世から流れだしてきているのだと知るとき、私たちは常にあちら側の世界と繋がっているのだという答えに行き着く。
かつて「オーラの泉」というTV番組が人気を博し、見えない世界のことがある程度は大衆に受け入れられるようになった(賛否はあるけれど)。
その頃のことが嘘のように、今ではYouTubeを開けば山のように見えない世界のことを語っている人達はいるし、それを観るたくさんの人達もいる。
特にエンパスと呼ばれるとても敏感な人達(HSPという呼び方もある)は、自分の存在意義を求めてスピリチュアルと呼ばれるものに没入し、時にはよりこの世界を生きるのが難しくなっていったりもする。
大切なのはバランスだ。
あの世はあるし、私たちは魂存在であることは間違いない。
しかし、自分は何をするためにこの世界に生まれてきたのかを思い出し、それを実行するかということは、選民意識で優越感に浸ることで自分を誤魔化すこととは全く別のことだ。
あなたの美しさを知るときが来ている。そして、それを知っているのは、ほかの誰でもなくあなた自身だ。
その美しさは、生まれる前にいた世界から携えてきたもので、この世界でその美しさを放てるのはあなた一人しかいない。
肉体という不自由な器の中に入って、自分の美しさを忘れて生きている人達の重たい波動にさらされ、その敏感さゆえに時には自分自身と他との区別がつかなくなり、あなた自身も自分の美しさを忘れてしまう。
大きく花咲くひまわりのような美しさはわかりやすいが、道端のつゆ草の可憐な美しさは見逃されやすい。
つゆ草はひまわりになることを望んではいない。内なる力によって、ただつゆ草として花を咲かせることへと向かうだけだ。
私たちも全く同じだ。
内なる力は、人間の美しさを目に見える形で世界に表す方向へと私たちを導く。
美しくない人なんていない。なぜなら、あの世と繋がっていない人などいないから。
「これが自分だ」と感じる何か。それがあなたの美しさだ。
誰かと比較する必要なんてないし、誰かに褒め称えられる必要もない。何か形のあることを成さなくてはいけないのでもないし、分かりやすい何者かになる必要もない。
にこっと笑ったその一瞬が、その美しさの放出であったりするのだ。
あなたがその美しさを表して生きているだけで、あちら側の世界の美しさがこちらの世界に流れ込む。
赤ん坊ににっこりとほほ笑まれた人が、みな笑顔になり癒された顔になるのはそのせいだ。
あなたの美しさはこの世界を癒す。
そして、誰かを何かを癒した人は、自分自身が最も癒される。
忘れないでほしい。あなたは美しい。
自分の深いところから湧き上がってくる感覚を信じ、どうかあなたのその美しさを世界と分かち合ってください。
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