人生を導くブループリント

人生のブループリントというものは確かに存在する。

生まれてくる前に、身体を持って何を体験するか、どういう人達と絡み合い、どういうシチュエーションの選択を持って生きるかをあれこれ準備し、そしてそれをすべて忘れるというお膳立てをして、私達はこの世界に生まれ落ちる。

2012年の12月に人類が滅亡するというシナリオがあったことは、知っている人も多いだろう。でも人類は滅亡しなかったよね?と、唯物的な人は皮肉に笑う。

人類の集合意識は、どうやらプランBを選んだようだ。滅亡する代わりにもう少し生きながらえて、身体を持ったままで新たな次元にシフトするという、ある意味壮大なチャレンジに挑むことを選んだのだ。

2012年以降、人生が劇的に変化した人というのは多いのではないかと思っている。私自身もその一人だ。

それ以前とそれ以降の自分は、もはや全く別人かもしれないと思うほど、私の人生は変化した。数日でそうなったのではないのだけれど、何重にも被っていた見えないベールを一枚ずつはがしながら、私は確実に変化していった。

振り返ると、以前とは全く違う自分という認識と、全く違う自分の人生が今ここにある。もがいてももがいても出られなかった苦しい澱のような不自由さが、いつの間にか消えている。

今私が体験しているこの感覚は、おそらく全ての人が同じように手にすることができるものに違いない。それを「望む」か「望まないか」だけが、それを手にしているかどうかの違いなのだ。

平成になって生まれてきた人達は、ちょっとしたきっかけで容易く「最初からプランB」のように生きることができる人達だ。令和生まれに至っては、「プランCで行きますが何か?」・・とでも言いたげな風情だ(笑)

問題なのは昭和生まれの人達だ。もう地球のエネルギーは完全に昔のものとは違っているのに、記憶のままの世界を生きようとしている人が多すぎる。そしてそれは「生きるのが辛い」という現実を生み出してしまうので、世界には「苦しい人」がいっぱいだ。

そしてこのコロナで導かれた今の状況は、強制シャットダウンによく似ている。今までのように生きようとしても、それができなくなることで、私達は強制的にプランBを生き始める。

少なからぬ窮屈さと不自由さはあるにしても、根本的に生き方を変える必要のない人達というのは、多分もうスムーズにプランBに移行しているということなのだろう。毎日家で家族だけと過ごしても心地よく、ネット環境を駆使すれば友人達とも繋がりは薄れず、不思議と経済的にも打撃を受けることが起こらない状況にいるはずだ。

この強制終了で苦しい人は、今こそチャンスなのだと思う。ここまで目を瞑って見過ごしてきた事と正面から向き合い、深い所から湧いてくる自分の望みを知り、封じ込めてきた感情を解放させて味わい、無理だと思っていた「望む現実」を手にする人生へと踏み出す時がやってきている。

絶望のまま死ぬのは、あまりに勿体ない。絶望したことを見ないために、誰かを攻撃してやり過ごすのは悲しすぎる。絶望の先に見える光こそが、本当は心から求めていた道を照らす光なのだ。ずっとずっと見ないようにしていた道がそこには開けている。

希望とは、字の通り「希い、望む」ものだ。自分に与える許可をおろした人にしか、それは現実化しない。私達は、自分の人生を自分で創りだす力を手にしてこの世界に降りてきている。

希望とは絵空事ではなく、人生を導くブループリントなのだ。

そしてそれを再び手にする時、それが今だ。

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