本当の自分を生きるときはどうすればいい?

本当の自分を生きるとき、それを邪魔しているものの存在に気づかなくてはなりません。

ほとんどの場合は、「邪魔しているものがある」ということにさえ、気づいていないかもしれません。

邪魔という言葉は、あまり正確ではないかもしれません。

例えていうなら、潜水服を着て地上を歩いているのに、他の人も皆それを着ているので、それに疑問や違和感を持っていないという感じです。

しかし、潜水服を着て地上を歩いていたら、自分の声はくぐもって自分でもよく聞こえなかったりします。

道端の花を摘むのも難しいかもしれないし、そんな花がそこにあることにさえ気付かないかもしれません。

そよそよと頬にあたる心地よい風を感じることもなければ、自分の最高速度で風を切って走ることもできません。

最初からそういうものだと思い込んでいなければ、そんな不自由な状態で生きていくのは多分無理でしょう。

本当の自分を生きるということは、着ている潜水服に気付くことから始まります。

それを着ていることで、自分は不自由なのだということを知ることから始まるのです。

脱ぐか脱がないか、それを決めるのはその後です。

みんなが着ているからと、潜水服を着ていることに違和感を感じなければ、何も始まりません。

潜水服は、深い水の中で着るものです。それは、自分の命を守るために存在します。

太陽の光が輝き、そよ風の吹く春の日差しの中で、必要のないものを着ていることの違和感に気づいたら、それはもう、自分の命を守るものではないことに思いを馳せてみてください。

あなたが心地よいと感じた、春の風の香りをもっと深く吸い込むには、潜水服を脱ぐ方がよいのだと、深く感じてみてください。

あなたは実は、ずっと前からそのことを知っていました。

それに気づかないふりをしていた自分を受け入れて、まず、潜水服を着ていたことを認めてみてください。

一番のハードルは、たぶんそこなのです。

潜水服を着て歩いていた愚かさを認めることは、自分の過去を貶めるような気がする人が多いでしょう。

でも今、この美しい春をもっと味わいたいとは思いませんか?

かぐわしい花の香りに満ちた、そよ風の中に立ちたいとは思いませんか?

セーターだと思っていたものが、実は潜水服だと気付くことは、ある意味辛いかもしれませんが、それ以上に素晴らしいことなのです。

地上で着ている潜水服を脱ぎたくない人は、たぶんこの世にはいないと思います。

なので、私たちは、ただそれに気づけばよいだけです。

自分は不自由なのではありません。

本当の自分を生きるのが難しいのではありません。

難しいのは、当たり前のように着ていた潜水服に気付くことです

そんなものを着ていては、自由も何もあったものじゃないと、まず身軽になることを選択してみてほしいのです。

潜水服とは…「信念」「親の教え」「世間体」「常識」「思い込み」「他人の眼」のことです。

言い換えるなら、「洗脳」と「怖れ」です。

本当の自分というのは、実はすぐそこにあります。

自分が違和感を感じているものを手放す勇気。

とことん自分に正直になることは、軽やかに生きるただ一つの方法なのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました