
毒親でないのは聖人だけ?!
世に多く言われている「毒親問題」というのは、99.9%の人に当てはまっていると思います。なぜなら「毒親」というのは、なんらかの信念体系を持った親のことを意味しており、そういう信念体系から完全に自由な人というのは、釈迦やキリストのような悟りを得ている人でしかないからです。
悟りを得ている親が子どもを育てた場合、その子どもが本来持っている何にも制限を持たない自由な才能を伸ばすことと、自己愛に満ちた人間にすることに成功するので、その子ども自身も21歳になる時点で、親と同じように覚醒すると言われています。それはつまり、その人が持っている才能を完全に発揮して生きるということであり、世の中にあふれる「苦しみ」とは無縁の人生を送るということです。
ということは、毒親の定義から外れている「親」は、ほぼほぼいないと言ってよいことになりますよね(笑)ほぼすべての親は、その毒(子どもに影響を与える信念や行動)の量によって、白よりのグレーから真っ黒よりのグレーまでに分類されます。
これはショックな現実ではありますが、人間は完璧な存在として生きることは不可能に近いので(悟りを得た人、覚醒した人は、人間を超える存在になっていますから・・)ある意味当たり前のことと言えるでしょう。
問題なのは、子どもには白に見えている親を持つ人たちだと私は考えています。ほぼ真っ黒なわかりやすい毒親(身体的・精神的な虐待をする親)を持つ人は、親から受けた影響に気づくことは容易です。しかし、子ども自身が「白」だと信じている「白ではない」親を持つ場合、子どもは自分が生きるうえでの苦しみの本当の原因に気付くことが遅れます。(いや、ずっと気づかないままの人が圧倒的に多いです)
なぜだか生きるのが苦しい人の原因 *Mさんの例*
Mさんを例にお話ししましょう。
Mさんは三人きょうだいの長女で弟か二人いました。幼いころは母方の祖父母と同居していましたが、小学校に入る少し前に祖父母とは別居になり、おばあちゃん子だったMさんは寂しい思いをしたそうです。大きくなってから母親に聞かされたのは、どうやら祖父と喧嘩別れしたせいでMさん一家は祖父母の家を出ることになり、稼ぎの少ない父親のせいで経済的にずっと苦しい生活をすることになったということでした。
Mさんはお母さんのことが大好きだったので、小学生の時から「女も手に職を持たなければいけない。女性でも活躍できる医者か弁護士になりなさい」と言われたことを真剣に受けとめ、学校でよい成績がとれるように努力を続けたそうです。勉強以外にも、お母さんを喜ばせたくて、マラソン大会や写生会、書初め大会や理科の研究発表などまで常に表彰状がもらえるように一生懸命がんばっていたのでした。
そんなMさんは、図書館で借りたSF小説を読むのが大好きだったそうです。しかしある時それを見た母親から、「そんなもの(SF)を読むことはやめて、文学小説を読みなさい」と注意され、それ以来SFを読むのをやめたとのことでした。
こうして、Mさんが自分自身で在り続けることが少しずつずれてきました。母親が子どもの頃に憧れていたピアノはずっと習わせてくれましたが、Mさんが友人と一緒に行きたくて習いたいとお願いしたそろばんや公文式は、当初の約束通り1年経ったらやめさせられました。
中学に入っても、Mさんはお母さんの喜ぶ顔が見たくて、勉強や生徒会活動をがんばっていたそうです。そうすることに何の疑いも持ってはいませんでした。お母さんはMさんが優秀な生徒であることを喜んでいて、嬉しそうにPTAの役員などをしていました。
しかし、中学2年生(14歳)頃から、Mさんの中で何かが徐々に崩れ始めました。生徒会の先輩に恋愛感情を持ったことがきっかけで、勉強に集中することが難しくなってしまいました。これまでの勉強の貯金で、一気に成績が下りはしませんでしたが、いつも学年でトップクラスだった成績が、中3の最後には下がりまのした。そして彼女はずっと行きたいと願っていた高校への願書を出すことができず、別の高校へ進学することになったのでした。
そこはMさんが憧れていた高校ではありませんでしたが、地元では偏差値も高く有名だったので、両親は合格を喜んでくれました。しかしMさん自身は、まるで何かの糸が切れてしまったかのように、勉強への意欲をすっかりなくしてしまいました。全然面白くない学校の授業を聞く気がせず、授業中に読書ばかりするようになり、もちろん成績もどんどん落ちていったのでした。
高校3年の時には、Mさんはとうとうクラスで下から2番目の成績をとりました。その成績表を見た母親は、情けないと泣きました。その時のMさんは、自分の心の中で何かが凍っているかのように感じたそうです。泣いている母親を見ても何も感じず、その後親がどれだけ説得しても大学進学を拒みました。99%の人が大学に行く進学校だったので、担任の教師は進学しないというMさんに向かって「お前はわが校の恥だ!」とまで言ったそうです。その時も、何も感じない自分だったとMさんは後述していました。
宗教・自己啓発・スピリチュアルにはまるのは何故?
この後Mさんは、数年の会社員生活を終えてから結婚して専業主婦になり、子どもも産んだのですが、子育ての最中に、毎日すくすくと成長していく我が子を見ていて、毎日何も変化のない成長しない自分に悩みはじめ、子育ての傍らさまざまな資格をとるための勉強を始めたのでした。同時に、新興宗教に始まり、自己啓発やコーチング、スピリチュアルな学びなどに次々とはまり、ただでさえ忙しい子育ての合間に「自己探求」をしてお金も時間も費やしたのでした。
「何者かになりたいのに、平凡な主婦でしかない」自分を、彼女はどこかで蔑んでいました。それは、わが子に対する期待という形にも変化し、やがて彼女は教育ママになりました。しかし幸いなことに、自己探求の道から得た学びで、あるときMさんは親から受けていたコントロールや抑圧の存在に気が付きました。そしてそのせいで、Mさんは自分らしく人生を生きることから遠ざかっていたのだとわかりました。親に謝ってほしいと感じたMさんは、その時、これまで自分も同じことを我が子にしていたことに気付いたのです。
Mさんは、まず自分の子どもたちに謝罪することから始めました。そして、それまでの自分の子育ての中にあったコントロールを深く反省し、本当に子どものための子育てができるように自分を律しました。MさんとMさんの子どもたちの関係性はどんどん良いものに変化していきましたが、それと同時に、Mさん自身が親に感じていた気持ちが蓋を外されたように浮かび上がってきたのでした
遅すぎる反抗期
Mさんは40代になって初めて母親に対しての反抗期を迎えました。もういい大人なのだから、そんな子どものようなことをしたくないと思っても、どうにもならない気持ちを抑えることができませんでした。ある時は、Mさんの留守の時に訪ねてきた母親が、待っている間にMさんの家の雑草取りをしているのを見た瞬間、怒りが吹きだしました。「勝手なことをしないで!」と怒る娘に母親は驚き、理解できないという顔をしました。Mさん自身も、雑草をとってくれるなんてありがたいことなのに、なぜこんなに腹が立つのか不思議だったそうです。
その母親の行動は「自分の子どもの家は自分の家も同じ」という『境界線を越えて侵入する行為』とMさんには感じられたのでした。当時の母親は、Mさんの家を訪ねてきて呼び鈴を鳴らしても、返事をする前に勝手に家に上がり込んできていたのでした。そういう小さな違和感の積み重ねを、これまでMさんは見て見ぬふりをしていたのでした。
母親は「我が子は私の分身、唯一血のつながった存在」と公言していました。彼女が複雑な生い立ちを持ち孤独だった子ども時代を過ごしたとの話を聞いていたMさんは、夫婦仲も良くない母が同性である自分に執着していることを知っており、かつ同情していました。母を喜ばせてあげられるのは自分だけだと、幼いころから思っていたのです。
しかし、母親が望んだような高学歴にもならず、立派な仕事も持たなかった自分を、Mさんは無意識に罰していたのです。「何者かにならなければならない」は、母への懺悔の気持ちが元になっていたのでした。
Mさんは本来、好きなことに没頭して楽しく過ごし、毎日のささやかなことに幸せを感じることができる、ある意味幸せな人生を送るのが上手なタイプの子どもでした。何か人生に成果を残さないと認められない・・というのは、Mさんの本来の在り方からはかけ離れた考え方だったのです。それは、Mさんの母親が自分自身で成し遂げられなかったことを娘に転嫁して望んだ「母親の理想」でした。Mさんは徐々にそのことに気が付き始めてはいましたが、母への懺悔の気持ちはそう簡単にはなくならず、苦しんでいたのでした。
本当に腹が立っていたのは誰に対して?
月日は流れ、Mさんの子どもたちも大人になり家庭を持ち始めました。Mさんの母親に対して感じるもやもやした気持ちは相変わらずそのままありましたが、遅すぎる反抗期もなんとか克服したと感じ、それなりに良好な関係性を保っていると思っていました。
しかし、唐突にその気づきはやってきました。ある出来事で、Mさんはこれまで自分が自分に蓋をして見ないようにしていたことに気付いてしまったのです。
Mさんは、長女の結婚相手に時々ざわつきを感じることを自覚していました。彼は親にとても可愛がられ大切に育てられた男性でした。元々の彼の気質に加え、まるでお殿様のように育てられたせいもあり、Mさんには彼が我儘な自己中心な人間に感じられることがありました。実際にはそうではなく、心の優しい個性的な人物と言ったほうが正しいのですが、マイペースな彼の言動が時々気に障り、そのたびに自分の心と向き合っていました。
しかしある時Mさんは、大好きで愛してやまない初孫の小さな女の子に、それと同じ気持ちを感じたことに驚いたのです。マイペースで自己中心的というのは、のびのびと愛されて育った子供なら当たり前のことです。しかし、大切な孫娘に対してまでそのように感じてしまうのは何かがおかしい!と、Mさんは本気で向き合いました。彼らの自己中な態度に腹が立つのはなぜか?!と、自分の中を探ったのでした。
そうしてMさんは気づきました。彼女が本当に腹を立てていたのは、母親に対してだということに。母親自身が自己中であるということと、それに対してずっと我慢してきた自分。子どもだった小さなころから我儘を言ったりしたことのなかった自分・・。
Mさんは孫娘のように愛されたかったのでした。娘の旦那さんのように、マイペースで自分中心的に生きたかったのでした。そして、愛という名で自分をコントロールしてくる母親から自由になりたかったのでした。
長い間抱えていたもやもやの正体がようやくわかりました。とても大切に思っているはずの義息子と孫娘にイラっとくる理由がわかりました。Mさんは、このことの深刻さにようやく気付き、自分にとって大切な二人と取り返しのつかないことになる前に、コントローラーであることをやめない母親と距離をとる決断をしたのでした。
「毒親」と認めることの恐れ
Mさんは言っていました。「かなり昔に、スーザン・フォワード著の『毒になる親』という本を書店で見つけた時に、これを買わなくては!と思いました。まだ『毒親』という言葉が一般的になっていなかった頃です。しかし、どうしてもそれを読む気になれずに、長い間本棚に置きっぱなしで、とうとう読まずに古本屋に売ってしまいました。今にして思えば、母が毒親だということに気付いていたのに、それを認めるのが怖かったのでしょうね」
普通に他の人がMさんの話を聞いても、お母さんが毒親であると言う人はほとんどいないと思います。しかし、私の考える「毒親」とは、「その人が自分らしく生きることを妨げる親」です。わかりやすい毒親とは違って、巧妙に子どもの考え方に影響を与え、とても長い年月に渡って、まるで蒔いた種が芽を出し育つように、子ども自身の人生の選択に影響を与えている親がたくさんいるのです。
その子どもが自分自身を信頼し、自分をポジティブに成長させていくための「考え方の影響」ならそれは「肥料」と呼んでよいでしょう。しかし、子ども自身の人生ではなく、親のための人生を歩ませようとしてしまう「考え方の影響」は、本当に「毒」と呼んでもよいのではないでしょうか。
暴力やネグレクトなど、世間的には目立つわかりやすい毒親問題がとりざたされていますが、ごく一般的だと思われる「親の在り方」が、実は子どもにとても大きな影響を与えていることが多ということには、まだまだ関心は薄いような気がしています。
そして、毒親の連鎖というものが、たくさんの子どもたちの心を苦しめています。私はかつて子どもと向き合う仕事をしていたことがあるのですが、小学生や中学生の段階でも、このことが大きく影響を与えているのを目にしてきました。
何か人生の悩みがある人のほとんどが、根底に見えない毒親問題を抱えていると言っても過言ではありません。子どものことで悩んでいる人のほとんどが、自分が抱えている毒親問題に気づいていない人だと、私は考えています。
Mさんの話はまだ続きますが、問題の根底に横経っているものに気付いたことは、Mさんとご家族にとって大きな前進となりました。これからMさんを含むさまざまな実例と共に、私たちが気づくことでより生きやすくなるための毒親問題について書いていきたいと思っています。
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