
毒親と親ガチャ
「毒親」に続いて「親ガチャ」という言葉も一時流行しました。それは、自分の生き辛さや不幸な人生を、親の当たりが悪かったから・・という他責思考を助長させるために使われていることが多いような気がしています。でも果たしてそれは、その言葉を使う人を幸せにしているのでしょうか?
「親ガチャ」と言う言葉は、経済的な裕福さや親の人格といった要素で、生まれてきた家を判断するために使われています。明確な当たりとはずれという判断は難しいので、その言葉を使う人の主観での親ガチャ当たりとはずれになります。
私は毒親問題について語っていますが、それは、親ガチャと同じような意味で使われることを望んでいるわけではありません。与えられた環境云々ではなく、自分の人生を主体的に自分自身の考えと感じ方で生きていくために、それを阻む要因があるのなら「気づく」ことが必要だという視点で、毒親という言葉を便宜上使っています。
例えていうなら、食物アレルギーのある子どもに、栄養があるからと思って親がそのアレルゲン食品を長年に渡って与え続けていたなら、いくら親がそれは愛だと主張しても、その子どもにとってはそれは毒でしかないというお話です。アレルゲン食品を与えていた親を糾弾しよう!という話ではなく、心地よく生きるためには、そのアレルゲン食品を食べることをやめることが必要だと気づくという話なのです。
親ガチャの意味
話を「親ガチャ」に戻します。親ガチャってあるのだろうか?・・はい、あると思います。地球上にはさまざまな人間がいて、さまざまな生活環境があります。そのどれに当たるかは、まさにガチャガチャの景品のようなものだと言ってもよいでしょう。しかし、大切なのは、そのガチャの景品を喜べるかどうか?ということです。ある人にとってはくだらない景品でも、別の人にとっては嬉しいおもちゃであることもあります。
しかし、ガチャガチャにゴミが入っていることはありません。必ず何か景品が入っています。その景品とは、「人生を体験する」こと、ただそれだけです。この世に生まれてきて、人間として限られた時間の中で体験したいことを存分に行うことこそが、私達人間が肉体という器に入ってやりたかったことなのです。
物事すべてにはコントラスト(対比)というものがあり、すべては二元性の中に存在しています。闇がなければ光は存在しないということです。電気が煌々とついている部屋ではそれほど明るく感じない灯が、真っ暗闇の中では美しく輝くのです。親ガチャという人生の条件によって、自分が見たい灯をよりくっきりと浮かび上がらせて見られるように、私達はどうやら生まれる前に設定してきているようなのです。
バウンダリー(境界線)というレッスン
毒親問題によって人生に苦しみを感じる人達の多くは、バウンダリー(境界線)という課題を自分の人生のテーマの一つに持っていることが多いような気がします。子どもにとって絶対的な存在の親が、自分自身の魂が発する声とは違うことを教えてくる場合に、自分自身の魂の声を信頼するというレッスンと言い換えてもよいかもしれません。
それは、自分のパワーを手にすることという課題です。暴力を行う親の元に生まれたなら、その暴力をよしとはせずに、そこから自分自身を護り自立するという勇気を必要とします。暴力やネグレクトのような過激な形ではないけれども、親からの圧力という形で親の毒を感じる人は、親によく思われたい、好かれたい、認められたい、というような気持を乗り越えて、自分ファーストで生きるというチャレンジが必要なのです。
他の人に相談してもなかなか理解してもらえない、一見愛情のように見える親からの圧力、コントロールに苦しんでいる人達は、総じてとても繊細で共感力の高い優しい人が多いような気がします。その人達は、自分が心地よくないことよりも、相手が心地悪くなることを気遣います。同じ親の元に生まれても、その親のせいで苦しいと感じることにきょうだい間で差があるのは、共感力が高いかどうかの差であることがほとんどです。
Mさんの場合も、一番末っ子の弟は、Mさんが親に感じたようなことを全く感じてはいなかったそうです。彼はいつでもマイペースで自分ファースト、親が何を言っても言うことを聞きませんでした。なのでその末っ子くんは、いつものびのびとしていて、親の目を気にしたりはしません。我儘というより、とてもパワフルなのです。親の方も、言っても聞かないので、末っ子くんのやりたいように自由にさせていたようでした。
つまり、親は「言いやすい」子どもに何でも言ってくるのです。愚痴を垂れ流すのも、何かをしてほしいと要求するのも、すぐにそれを察してくれたり、優しい言葉かけをしてくれる子どもを選ぶのです。コントロールしやすい・・と言い換えてもよいかもしれません。共感力が高いということ、優しいということは、人間としてとても素晴らしい素質だと私は思うのですが、それゆえに苦しみを抱えやすいというのは皮肉なことです。
境界線のうすい人と毒親
Mさんは、一見パワフルで自分のやりたいことをぐいぐいやるような人に見えますが、実はとても繊細で、相手の感情が手に取るように伝わってくるので、先回りして色々と気遣ったり悩んだりが多いのです。誰かに言ってしまったことを、後で反芻してくよくよするのは日常茶飯事です。しかし実際のところ、Mさんが悩んでいたことを、相手の人は覚えてもいないくらいです。Mさんは失言したと反省していても、相手にとってはそれは記憶に残らないほど些細なことだということはしょっちゅうです。
一見してわからない毒親を持つ人は、Mさんのような課題をもっている人が多いと思われます。相手と自分の境界線をしっかりと引くこと。常に自分ファーストであること。自分を大切にして初めて、相手をも大切にできるのだということに気付くまでこの課題は相手を変えて続きます。
Mさんが、色々な人間関係の大本に母親の存在があったと気づくことは、自分ファーストで生きること、自分のパワーをしっかり手にすること、という課題に本気で向き合うためには絶対に必要なことでした。自分の母親が実は毒親だったということを受け入れることは、この課題に気付くためには不可欠だったのです。
同じような気づきを得た人の例は他にもたくさんあります。そして、その人達の人生が、以前と比べて軽やかに自由になっていったのを、私はたくさん目撃してきました。自分の親を毒親だと認めることは、決して親不孝をすることではありません。本当の意味の親孝行は、子どもの自分が最高に幸せな人生を送ることです。(それを心から喜ばない親には問題があるとわかりますか?)それを阻んでいる理由がほかならぬ親の存在なら、それと向き合うことは当然至極で、そこを飛ばして為すことはできないのです。
毒親問題は自分自身の問題
これから先、私が今までに出会った人達の例をあげながら、毒親問題について、なぜそれを浮かび上がらせないとならないのかをお話していこうと思います。あ、Mさんというのは、お気づきの方もいるかもしれませんが私自身です(笑)これから具体的な例をあげていくために、練習がてら過去の自分を客観視してみました。なので、私の毒親問題について書いた過去記事もリンクしておきますので、ご興味のある方はご一読くださいね。
なお現在の私は、母親と1年半+2年(合計3年半)の断絶状態を経て、月に1~2度会うというスタンスを守りながら、穏やかな関係性を保っています。自分が通ってみて、このことは本当に私自身の問題なのだとわかりました。母と断絶していた期間は、長い年月の母の毒からクリーンになるような期間、もしくはリハビリの期間といった感じがしています。母を一番にしていた私が、自分自身を一番にする訓練期間だったと言っても構いません。私の家族の愛情に支えられながら、私は本当の自分を取り戻してきたと思います。この断絶機関には、毒親問題についても深く学びました。知識として入ってきたものにもずいぶん助けられました。すべては認知のゆがみから発していたと思います。幼い子供のころから思春期に向かって、自分ではよしとしない信念体系を親から植え付けられ、それゆえに自分が自分でなかった苦しみです。これは親からの洗脳を解く作業だったとも言えるかもしれません。
母は3年半も私に会えなかったので、たぶん今はとても嬉しいのだと思います。彼女なりに随分気を遣っているのがわかります。でも、ほぼ何も変わってはいません。頭では、私の言葉を受け入れてはいるようですが、根本的なところではそうではないのがわかります。私にまた嫌われたくないと、必死にがんばっているのでしょう。以前より、ありがとうが増えました。すると私はあっという間に幼いころの自分に戻り、もっともっとお母さんを喜ばせたいという気持ちになります。しかし、それをしてしまうと、彼女はまたあっという間に毒親に戻るのです。私が必死で作っている境界線をずかずかと乗り越え、自分中心の言動になることは想像できます。
もう母は高齢なので、彼女の命の長さとの競争になるかもしれませんが、私は自分の境界線を保ちながら、私自身も親離れを果たして、彼女があちらの世界に戻るときには自分を責めないで済む自分になりたいと思っています。私に似た体験をしていらっしゃる方、一緒にがんばりましょう♬
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