リアルに体感の残っている夢を見ました。そしてその夢の中では、私への示唆や、私の現状に対しての理解を促すメッセージがありました。
それに加えて、少し前から頭に浮かんでいたある人も登場してきました。私の普段の生活には接点のない人なので、たぶんその方が私のことを思い出して、何か話をしたいのかなと感じています。
(私は人の思念をキャッチするのが得意らしく、誰かが私に会いたいと思ってくれているとき、数日に渡ってその人の顔が頭に何度も浮かびます。以前は自分がその人に会いたいのかなと思って連絡したりしましたが、そうすると必ずその相手から、会いたいと思って連絡取ろうとしていた!と言われるので、今では自分からはしません笑)
しかし今回は、多分その方は私に連絡はとってこないだろうと感じるので、一方的に私が伝えたいことをここに書いておこうかなと思います。おせっかい甚だしいかもしれませんが、もしその方と会ったらそういう話になるだろうなと感じるもので。
これまで色々な人達とお話ししたり、カウンセリングをしたり、ワークをしたりしてきました(そういう仕事を10年以上してきました)。そして極論ですが、人々の苦しさの根本にあるのは、毒親問題と発達障害なのではないかと私は感じています。
その二つの要因によって、自分本来の創造性(クリエィティビティー)を発揮して生きることを100%できないことが、人々が生きる上での苦しさとなっているのだと思うのです。
毒親と言っても、一般的に知られている身体的・肉体的DVをする親だけではなく、子どもに関心がなく自分中心な親や、お金を与えることでコントロールする親、憐れみを訴えて下からコントロールする親など、その実態は多岐に渡ります。
ある意味、真の無償の愛で子供を育てている親以外は、すべて毒親と言ってもよいかもしれません。してくれたことが山のようにあっても、その行為への見返りを全く求めていない無償の愛を与えてくれる親以外は、やはり毒親の要素があると言えるのです。
最近YouTubeなどにたくさん出ているような「毒親への仕返しをしろ」とか言いたいのではありません。また「どんな親でも、産んでもらったことに感謝しなくては」というのも、少し違うと感じています。
感謝とは、したくなったときに勝手にするものです。「しなくては」でするのは、本当の感謝ではありません。
それよりも、自分の心の奥深く、潜在意識という場所に、親や世間から刷り込まれたことで作られているフィルターがあるということに、まず気付かなくてはならないのだと思います。
自分が「思っている」「感じている」「そう考える」ということのほとんどに、そのフィルターによって色づけられた「本来の自分以外の思考・感覚」が入り込んでいることに気付くことが必要なのです。
それは自分で思うよりかなり深刻なもので、カルト宗教などの「洗脳」にも近いと言っても良いかもしれません。(むしろ宗教における洗脳の中にいる人は、同じ洗脳された意識で行動・発言する人達と一緒にいるので、苦しくなくて楽かもしれません)
子どもが本能的に最も愛する存在が親なのですから、カルト宗教の教祖よりも更にパワフルです。当人が気づく以外は、そこにある自分に与えられている影響に気付くのは難しいと感じます。
無償の愛で育てられた人達は、人生の岐路に相談したり励ましをもらったりしにいくのは親です。普段は完全に自立して生きているその人たちは、何かを言ってもらわなくても、親に会うだけで元気づけられます。そして彼らはほとんどの場合、外に教師やカウンセラーを求めたりはしないようです。なぜなら、人生の指針は無言または有言で親から与えられるからです。
もちろん、親から無償の愛で育てられていない人の中にも、他人からのアドバイスを必要としない人達も一定数います。その人達は、隠れ発達障害がプラスに作用している人達だと私は観察しています。
アスペルガーやADHD的要素を持っている人達の中で、一般社会で生きていく能力はちゃんと得ていて(なので「隠れ発達障害」と呼びます)、そのうえに「自分が自分の辞書だ!」とでもいうようなメンタリティーを持っている(共感力が低い)ので、親が毒親であってもほとんど影響を受けないのです。
それとは対照的に、共感能力の高い隠れ発達障害の人達は、たとえ親の毒親度がそれほどではなくても、敏感に親や周りの人達の思念を感じとり、自分自身が本当に感じることを封じ込めて育つことが多くなります。そしてその結果、自分自身が本当はどう生きたいのかから遠ざかり、自分自身の創造性を発揮して生きる人生からも離れていきます。
一般的に私たちが感じる「優しい人」ほど苦しんでいることが多いのはそのためです。優しい人というのは、共感能力が高い人が多いので(相手のことがわかるので気に掛けることが多い)、親や世間の信念体系を自分の中に取り込んでしまうのです。そして、本来の自分がどう生きたいかを見失いがちです。
毒親問題と発達障害的特性とが絡み合って、何より大切な「自分らしさ」で生きることを阻まれてしまっている人がとても多いことは悲しいことです。
その苦しさから抜け出る第一歩は「知る」ことだと思います。自分という人間の特性、そして自分に影響を与えているものは何か?を知ることです。
私自身を含め、親や義理の親が亡くなることで解き放たれた感覚を味わう人は少なくありません。反対に、親が遠い昔に亡くなっていても、そこから解き放たれていない人も多くいます。
親の生き死にに関わらず、解き放たれるべき人は多いのだと感じます。自分が思っているよりずっと重く深く、私たちは自分以外の何ものかに影響を受けているのです。
全ての人が、その人の在りのままで、その人の魂が計画してきた人生の喜びを味わう権利があると私は思っています。もちろん、その権利を使う使わないの自由さえ含めてです。(不自由さを味わいたいという計画もあるので、その望みを達成する自由もあります)
それでもなお、お伝えしたいです。今、自分が自分であることに100%しっくりこないものがあるのなら、自分は何を体験しにこの人生にやってきたのか思い出し、それをすることに外ならなぬ自分自身が許可を与えて下さい。
思い出すためには、自分の中に作られているフィルターの存在に気付く必要があります。注意深く感じて下さい。自分の想念を疑って下さい。「これは100%自分のものだろうか?」と。
心の底から湧き上がってくるような感覚に出会えるはずです。自分がどう在りたいかの根幹に触れると、感動で涙が滲みます。私たちはいつでも自由です。そして、共感能力が高いことは自分を苦しめるために備えてきた特質ではなくて、愛をわかちあえる人達と深く繋がり共感し幸せになるために備えてきた特質なのです。
きょうは、毒親問題に関して私の目を開かせてくれ、そして生きるのを楽にして下さった高田悦子先生の動画を紹介したいと思います。先生の愛あふれるお人柄でしてくださるとてもわかりやすいお話は、毒親問題がどれほど私たちの人生に影響を及ぼしているかの理解を深めてくれます。
たくさん動画はあるのですが、その中で選ぶとしたら・・の、私のお奨めをリンクしておきますね。
↓キャッチ―で物騒なタイトルですが(笑)、一本だけ選ぶならこれです!ものすごく大切なことを教えてくれます。長いですが、ぜひ最後まで観ていただけたらと思います。
*以下の3つの動画は、毒親のパターンを3つに分けて詳しく解説してくれています。
【A】DV(暴力・暴言)を受けてきた人
【B】依存(共依存)甘やかし・口出し
【C】社会常識・固定観念・儀礼・親孝行
↓①【A】DV(暴力・暴言)を受けてきた人
↓②【B】依存(共依存)甘やかし・口出し
↓③【C】社会常識・固定観念・儀礼・親孝行
↓自分の親が毒親かどうかわからない、もしくは違うと思いたい人は、ぜひこちらの動画をご覧になってください。
他にも、人生を楽に生きるためのたくさんの知識をシェアして下さっています。私が大ファンの高田先生のお話をぜひご覧になってみてくださいね!
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